黄色い牡丹

今週のお題「植物大好き」

わたしが小学校に入る直前に祖父が亡くなり、それから10年以上、祖母はひとりで、あの広い、広い家に住んでいる。

祖母がひとりで住む平屋は木造の二階建てで、一階は居住スペース、二階は以前お蚕さんを飼っていた場所、らしい。幼い頃はいとこと一緒に埃だらけの二階を探検していたけれど、そもそもいとこ達と集まる機会も減ってそんなこともなくなり、二階へ登るために唯一ある急な階段を歳をとった祖母も登らなくなったから、およそ以前より埃だらけの悲惨な状態になっているだろうと想像がつく。

家の敷地には大きな平屋以外に、平屋と向かい合わせに建っている広い車庫、そして平屋の裏にある大きな二階建てのバラック、もとはいちごのビニールハウスがあった広い畑、以前は祖父と祖母が寝床として使っていた離れの小さな建物、井戸、洗濯場があったりして、東京なんかでは考え付かないほど広く、そして祖母1人になった今ではほとんどが役を果たしていない場所がたんまりとある。

祖母は80歳を超えてはいるが、はきはきとおしゃべりをして、友達がたくさんいて、病気もあまりしなくて、年を感じさせないおばあちゃんだと思っていて、それはいまでも思っているけれど、でもやっぱり、数年前の祖母の姿を思い出してみると、「しなくなったこと」が確実に増えていると思う。

以前は畑で育てたお花を売りに出していたけれど、気づいたらそれもなくなっていたし、原付にも乗らなくなった。裏のバラックのお掃除も、している姿をもうずっと見ていない。

しかし、裏の畑だったりバラックだったりに行かなくなっているけれど、平屋の真ん前にある車庫のとなりの、植物たちが窮屈そうに育つあの小さな畑の手入れだけは、いつまでもきちんとやり続けている。

外に出てお水をあげ、枯れてしまった葉や花を摘んで。去年の夏にはゴーヤを植え、そして今年は朝顔を植えていた。

つい先日、連休の帰省の際に祖母の家へ行った。いつもだったらお昼前にいって、お昼ご飯を一緒に食べたりするのだけれど、都合がつかず、その日は夜に片足を踏み入れたような時間に尋ねた。

祖母は普段早くに寝床へ入ってしまうのだけれど、その日は起きていてくれて、わたしと母と姉と、2時間ほどおしゃべりをし続けた。そして帰り際に電車賃だよ、といって、わたしと母と姉に、一枚ずつ一万円札を渡してくれた。

その帰り道に、祖母から突然電話がかかってきた、さっきまで一緒にいたのに。今年も黄色の牡丹が咲いて、しかも10輪も咲いたのだが、それを見せ忘れてしまったという内容だった。

その黄色の牡丹は、私が生まれたときに祖父が買ってくれたもので、もともとはわたしの家の庭に植えていたのだが、庭のない家へ引っ越した際に祖母の庭に植え替えていたものだ。言われてみれば、去年のこの時期に母から牡丹の写真付きメールが送られてきていた。

その牡丹の存在を忘れていたし、そもそも牡丹がこの時期に咲くことすら覚えていなかったけれど、わたしたちが帰った後そそくさと寝床に着いたであろう祖母が、その牡丹のことを思い出してわざわざ電話をかけてきてくれたことを想像すると、牡丹のことを忘れていたことがなんだかなさけないことのような気がしてきた。

そしてそのとき、わたしは来年は見に行くね、と気軽に口に出すことがなぜだかできなくて、というよりもこわくて、母がきっと近いうちに行くからその時に写真を撮って送ってもらうね、と返事をした。