変わってゆくこと。



「新しいピアスが欲しくて。これとかどうかなあ?かわいくない?」

100人ほどが入れる大きな講義室。その前から5列目の右端あたりに、わたしとゆりは席を取っていた。
文系学部のわたしたちがなぜ理工学部の講義室にいるのか、わたしたちもよくわからないけれど、大学のシステム上そうしないと卒業できないのだから仕方がない。サークルの先輩に楽に単位をとれると聞いた、図形の授業をしかたなくとった。

大学に入学して数カ月経ち、周りもサークルやら授業やらになんとなく慣れてきて、ぼちぼちバイトを始めるひとが増えてくるような、そんな夏の入り口だった。

ゆりは少し焼けた肌をしていて、そこまで化粧や髪型なんかに気を配らなくても美人だと思えるくらいに可愛い。橙色の花が咲いたみたいな笑顔を、そこそこの楽しい雰囲気で何気なく披露できるほど明るくて、だからスマホの画面に映し出された、ゆりの笑顔を邪魔しないほどの小ささで、ひかえめにビーズが光るピアスは、ゆりにぴったりだと思った。

「そのピアスいいよ、すごくゆりっぽい。」

素直な感想を口にしたが、ゆりはわたしの感想を本心からは求めていなかったようで、そうかなあなどといいながら、スマホをタップしてまた次の候補を探し始めた。
ゆりがスマホに夢中になりだしたところで、ルーズリーフや筆箱を机の上にだして、教室を眺める。いつも通り授業開始時刻よりきっかり7分遅れて、猫背の教授が講義室に入ってきた。


* *

2ヶ月の夏休みが終わって、学部ガイダンスの日。
夏休み中にそれなりに会っていたとはいえ、なんだか久しぶりな気がする。本当に久しぶりなひともいるのだけれど。

いつも学部共通の授業を一緒に受ける顔ぶれが、右後方の座席に固まっているのを見つけた。

「ひさしぶり」
「ほんとね!なんだかんだ大阪旅行ぶり?」
「そうかも。」
「あっ、みんなにお土産あるよー!」
「まじ?やったー!」


口々に挨拶をし終えたところで、ゆりの姿が見えないことに気がついた。

「あれ、ねえ、ゆりまだ来てないの?」
ふと口にした疑問に、なんとなく雰囲気がぎこちなくなる。

「ゆり、ねえ、忙しいんじゃない?」
「なんかFacebookとか見た感じ、夏休みいろいろやってたみたいだしね?」
「ああ、フィリピンいったり?」
「なんか学生団体で映像制作やってて、それがいま追い込みとか、昨日Twitterで言ってたし。」
「てかゆり、アメフト部のマネはどうしたんだろね?」
「えー、一応続けてるんじゃない?分かんないけど。」

どうやら、夏休みにゆりに会った人はおらず、それぞれがSNSを通してゆりの様子を知っていたようだ。

みんなの物言いがひっかかったのもあって、
 近くにいた友人がちょうど開いていた、ゆりのSNSページを見せてもらう。

確かに、みんなが言っていたように、ゆりは夏休み中忙しくしていたようだった。
学生団体の活動があったり、部のミーティングがあったり。
画面をスクロールしていくなかで、フィリピンへのボランティアに関する投稿が目に入ってきた。
現地の子供たちと撮ったであろう写真には、髪をまとめ、薄汚れたTシャツを身につけたとびきりの笑顔のゆりが、一緒にうつっている。長めの文章が添えられていて、思わず読んでしまう。
その投稿の最後、「一生に一度の19の夏。収穫がたくさんありました。関わってくれたすべての方に、感謝。」と添えられていた。

これを読み終えたとき、わたしの両耳のピアスの穴が鈍く痛んだ。

夏休みに空けたばかりのピアスの穴には、バイト代をつぎ込んで買ったお気に入りのピアスがついている。お気に入りのブランドのモチーフと、そこに埋め込まれたスタッズかきらきらと光るもの。お気に入りで仕方なくて、毎日ずっとつけていたものなのに、突然耳ごと覆って隠したくなった、なんの価値もないものに思えた。耳なのかあたまなのか心臓なのか、どこか分からないけどなんだか痛くて、じゃまで、なくしてしまいたいような、そんな気持ちになった。

わたしはおもむろに両耳のピアスを外すと、カバンの奥にしまい込む。

軽くなった耳に、生暖かい風があたる。

長くて短い夏休みが終わった。


黄色い牡丹

今週のお題「植物大好き」

わたしが小学校に入る直前に祖父が亡くなり、それから10年以上、祖母はひとりで、あの広い、広い家に住んでいる。

祖母がひとりで住む平屋は木造の二階建てで、一階は居住スペース、二階は以前お蚕さんを飼っていた場所、らしい。幼い頃はいとこと一緒に埃だらけの二階を探検していたけれど、そもそもいとこ達と集まる機会も減ってそんなこともなくなり、二階へ登るために唯一ある急な階段を歳をとった祖母も登らなくなったから、およそ以前より埃だらけの悲惨な状態になっているだろうと想像がつく。

家の敷地には大きな平屋以外に、平屋と向かい合わせに建っている広い車庫、そして平屋の裏にある大きな二階建てのバラック、もとはいちごのビニールハウスがあった広い畑、以前は祖父と祖母が寝床として使っていた離れの小さな建物、井戸、洗濯場があったりして、東京なんかでは考え付かないほど広く、そして祖母1人になった今ではほとんどが役を果たしていない場所がたんまりとある。

祖母は80歳を超えてはいるが、はきはきとおしゃべりをして、友達がたくさんいて、病気もあまりしなくて、年を感じさせないおばあちゃんだと思っていて、それはいまでも思っているけれど、でもやっぱり、数年前の祖母の姿を思い出してみると、「しなくなったこと」が確実に増えていると思う。

以前は畑で育てたお花を売りに出していたけれど、気づいたらそれもなくなっていたし、原付にも乗らなくなった。裏のバラックのお掃除も、している姿をもうずっと見ていない。

しかし、裏の畑だったりバラックだったりに行かなくなっているけれど、平屋の真ん前にある車庫のとなりの、植物たちが窮屈そうに育つあの小さな畑の手入れだけは、いつまでもきちんとやり続けている。

外に出てお水をあげ、枯れてしまった葉や花を摘んで。去年の夏にはゴーヤを植え、そして今年は朝顔を植えていた。

つい先日、連休の帰省の際に祖母の家へ行った。いつもだったらお昼前にいって、お昼ご飯を一緒に食べたりするのだけれど、都合がつかず、その日は夜に片足を踏み入れたような時間に尋ねた。

祖母は普段早くに寝床へ入ってしまうのだけれど、その日は起きていてくれて、わたしと母と姉と、2時間ほどおしゃべりをし続けた。そして帰り際に電車賃だよ、といって、わたしと母と姉に、一枚ずつ一万円札を渡してくれた。

その帰り道に、祖母から突然電話がかかってきた、さっきまで一緒にいたのに。今年も黄色の牡丹が咲いて、しかも10輪も咲いたのだが、それを見せ忘れてしまったという内容だった。

その黄色の牡丹は、私が生まれたときに祖父が買ってくれたもので、もともとはわたしの家の庭に植えていたのだが、庭のない家へ引っ越した際に祖母の庭に植え替えていたものだ。言われてみれば、去年のこの時期に母から牡丹の写真付きメールが送られてきていた。

その牡丹の存在を忘れていたし、そもそも牡丹がこの時期に咲くことすら覚えていなかったけれど、わたしたちが帰った後そそくさと寝床に着いたであろう祖母が、その牡丹のことを思い出してわざわざ電話をかけてきてくれたことを想像すると、牡丹のことを忘れていたことがなんだかなさけないことのような気がしてきた。

そしてそのとき、わたしは来年は見に行くね、と気軽に口に出すことがなぜだかできなくて、というよりもこわくて、母がきっと近いうちに行くからその時に写真を撮って送ってもらうね、と返事をした。